頑固不器用ワンパターン -170ページ目

今日のCD ダニエル・ミル

ダニエル・ミルはフランスのジャズアコーディオン奏者です。

ミル


これは1stアルバムの、「河岸にて」ですが、大変に濃厚です。
この音楽を説明するのに、ボクのボキャブラリーでは、まかない切れません(笑)

このアルバムに限らず、ダニエル・ミルの音は、大変に繊細です。アコーディオンの音色って、チロル音楽の「ブンチャッチャ」や、国営放送で日曜の昼にやっているのど自慢番組で少し前まで伴奏に使われていたイメージが強いですよね?
どちらかと言うと、陽気で他人の為に出している音っていう感じですが、ダニエル・ミルは正反対です。これでもかっていうくらい、内面にはまっていく演奏です。

ボクのこのブログで、ずっと前、4/17に「悲しい体験」っていうのを書きましたが、ここでお話したユニットでは、ダニエル・ミルのコピーもやりました。
というか、件のアコーディオンを弾く女性が、「河岸にて」をやりたいと言って、リハーサルコンボバンドにこのCDを持って来たのが全ての始まりでした。

そのCDをバンドメンバーと聴きましたが、ボク以外の人は「????」でした。どうやってこの音楽を作っているのか、マッタク分らなかったんですね。

どのくらい「????」だったかというと、このジャケットから音を想像しなさいというくらいです、、、
でもボクだけは、この音楽をボクなりに再生できた。
その時彼女から「この曲は一生出来ないかもしれないと思っていた。」と言われました。自分で言うのはおかしいですけど、それくらい、演奏するには、特異な感性が要求される音楽なのです。

これがきっかけで、「悲しい体験」に書いたユニットが発足しました。
このユニットで表現しようとする音楽は、なかなか難しいものばかりでした。
それまでにボクが持っていたテクニックや音楽性だけでは、まかないきれないものが沢山あり、何度もCDを聞き直し練習を重ねました。

結局そのユニットは解散してしまった訳ですが、お陰さまでダニエル・ミルを通じて、ボクのギターはかなり鍛えられました。
4/25に書いた「アマチュア室内楽フェスティバル」にも、ダニエル・ミルの曲で応募します。

せっかく練習して弾ける様になった曲ですからね。ナニカに役立てないともったいないですからね(笑)

調律=チューニングのおはなし (平均律と純正律)

以前に「絶対音感/相対音感」というネタで書きました。
これに少し関係があるお話で、調律というか、チューニングと言うか、難しい言葉で言えば、音列における周波数の決め方、ということになりますが、、、、、
そんなお話をしてみます。
(mayさん、頑張って最後まで読んでくださいね~~笑)

音は空気の振動であり、音階は周波数として物理的に捕らえることができます。
でも、今日は物理のお話は置いておきます(ボクも苦手だから:笑)

ドミソの和音って、ピアノやキーボードで誰でも鳴らす事が出来ますよね。
ピアノやキーボード、あとギターも、平均律という音階ルールで調律されています。

平均律とはナニカというとですね、鍵盤1オクターブの間にある12の半音階の物理的な周波数を数学的に全部均等に割って並べた音階のことです。
鍵盤には白鍵と黒鍵がありますよね?
白鍵でドレミファソラシドって弾く時、ミとファ、シとドの間だけ白鍵が続いていますよね? つまりそこは半音階でつながっていて、それ以外の所は間に黒鍵が入るから半音が2つ分の音階になっている(例:ド+黒鍵+レ)。

ピアノのド以外のところから音階を弾こうと思うと、黒鍵も使わなくてはいけないことは、おわかりですよね?
もしファから始めるのだったら、黒鍵が3つ並んでいる一番右を使わないと、ドレミファソラシドってなりませんね。
つまり逆に言えば、正しく黒鍵を使えば、どの鍵盤から(たとえ黒鍵からでも)始めても、正しくドレミファソラシドになるし、その音階で「ドミソ」って和音を押さえれば、ちゃんと綺麗な和音になりますね(ファラドとか)。
ピアノのド以外の所から始まる音階は、移調した音階と言います。音符に書く時は#やbが付く、あのやっかいものです(笑)

ここまでが、平均律のお話です。
別にナニも疑問に思わない、当たり前のことですね。

では純正律ってナニでしょうか?

もし身近に電子キーボードがあったら好都合なのですが(生ピアノだと調律が狂っているかもしれないので)、音色スイッチでピアノの音にして(ビブラートが掛らないから)、ドの音を鳴らしてください。
そして、そのドに綺麗にハモるように、ミの音を自分の声で出してみてください。

キーボードと自分の声が綺麗にハモったと思ったら、鍵盤でミの音を出してみてください。

自分の声で出したミと、少し高さが違ったはずです。キーボードの音の方がほんの少しだけ低いと感じたら、正解です!

このときあなたが声に出したミの音は、キーボードのドに対する純正律のミの音なのです。

これはどういう事かと言うと、人の耳にとって、気持ち良く響く和音は、平均率でチューニングされている鍵盤楽器とは少し違う音なのです。
試しにミだけでなく、ほかの音もキーボードと比べてみてください。特にシなんて、自分の声の方が随分高くなったと思います。

つまり、平均律って、一見(一聴か?)ちゃんとした音階に聞こえていますが、実はうまく耳をごまかした音階ということになります。

「それじゃあ、さいしょから純正律で調律しておけばいいじゃないの。」とお思いでしょう。
ところがそう簡単にはいかないのです。

鍵盤のドから始まるドレミファソラシドを純正律でチューニングしておくと、例えばファから始まる音階を弾いた時には、なんだか音痴なガタガタな音階になってしまうんです(試した事が無いので、どれくらいガタガタになるのか、ボクもわかりませんが)。

「いつもハ長調の曲しか弾かないピアノ」でしたら、純正律に調律しておくということは、理屈の上では不可能ではありません。
実際テリー・ライリーという現代音楽の音楽家は、純正律のピアノを前提とした活動をしています。

話が逸れますけど、数年前にテリ-・ライリーのリサイタルに行きました。それはそれはショッキングな経験でした。
ギターは平均律の楽器ですが、キー固定で構わないから平均率のギターが欲しいと、本気で思った程です。。。

さて、ここまで真面目に読んで来られたあなた、何だかもやもやしていることと思います。
耳に気持ちが良い和音は純正律の音なのに、伴奏楽器のピアノは平均率で鳴っているという矛盾。。。
まぁ、ピアノでドミソって和音を鳴らしても、気持ち悪い音と感じる訳ではないので、ピアノの音に合わせて合唱や合奏をしても、一応素敵な音楽に聞こえます。
音の高さの違いといっても、ほんのわずかですからね。

でも、アカペラのコーラスで、本当に上手なグループが、どうしてあんなに綺麗な音に聞こえるのかって、、、、それは、自動的に純正律で歌っているからなのですね。

ここまでが、ボクの知識の範囲です。

ボクにもこの件では疑問があるんです。
プロのオーケストラにピアノが加わる時と、そうで無い時、メンバーの皆さんは平均律と純正律の違いを意識して演奏されているのだろうかということです。
オーケストラの中に、ピアノが入るとうっとおしい、と感じている人がいらっしゃったら、正解だと思うのですが。。。
 
 

アクセスカウンター

IT時代に今さら何よ! と怒られそうですが、このページにもようやくアクセスカウンターが付きました。
web初心者としては、新しいことが出来ると、とっても嬉しいです!
開始数値は自由に設定できるんですけど、ま、今日からスタートということで、気長にいきましょう(笑)

HPへのアクセス数って、ページによって本当にまちまちですけど、長い間コンスタントに更新を続けているHPは、カウンターの上がり方も凄いですね。
このページのリンクにある、 tanabe.tvさんなんか、本当に凄い数値ですし、上がる速度もけた違いです。計算上、平均すると毎日120件です!!
10年間、マメに続けていると、こういうことになるんですね。脱帽です。

ちなみにこのページのアクセス数は、4/28に書いた「せっせとランキング」の挿入画像を見ていただくとわかりますが、平均20件弱です。
ここ一週間のデータを見てみましたが、同じですね(苦笑)

音楽ネタだけで10年続くか、自信はありませんが、読者のみなさま、末永くお付き合いくださいますよう、よろしくお願い致します。

タンゴのビデオ

今日、何の連絡もなくいきなり、郵便でタンゴのビデオが2本届きました。
送り主は、ソプラノ歌手のM.K.さんです。
5月22日には行徳でタンゴライブがあるので、聴きに来ませんかとの手紙も付いていました。


タンゴは、なんだか前々から気になっています。
自分で演奏するチャンスをうかがっていました。
お手紙の内容からすると、行徳のバンドでギターを募集している様子。

問題なのは、ボクにタンゴの知識が殆ど無い事です。
曲を何曲か知っている位です。
今日ビデオが2本送られて来た意味は、これだけマスターすればとりあえずOKということでしょうか?

タンゴの中でギターは、ハッキリ言って地味です。
花形はバンドネオン、次はピアノとバイオリンです。その次にベース。ギターは最後ですね。
ハッキリ言って、ギターは居てもいいけど、いなくても問題ないという位置付けです(笑)

でも、あのかっこいい音楽の中に入るのは、結構な夢であります。
送られて来たビデオを見ると、アルゼンチンの聴衆が熱狂しています。
ボクが知っている曲も出て来るのですが、案外日本で言うと歌謡曲っぽく歌っています。でもバックバンドは、ガシッと本物のタンゴを演奏しています。
現代的にな感覚に見えるけど、しっかり伝統に支えられているという感じです。

現代日本でのタンゴは、ご高齢のかたのダンス音楽という趣が強いのですが、純粋に音楽を極めようと思うと、タンゴは登竜門のような気がします。

イチロウ師匠も最近タンゴにはまっています。
色々苦労されながらも、小松亮太さんのトラを勤めるところまで行かれています。
つまり、日本の若手トップクラスの一角を占めていらっしゃる。これはこれで凄いことなので、ボクも憧れる訳です。

行徳のタンゴバンド、多分顔見知りの高齢者、Yさんがバンドネオンかバイオリンで参加されているはずです。
ナニも連絡せずに5/22のライブにに伺ったら、驚かれるだろうと思います。
音楽仲間のつながりって、幅広くって狭くって、面白いものです。

クラシックイベント

新聞に書いてあったんですけど、丸の内の東京国際フォーラムの6会場で、連休中の3日間、朝から深夜まで連続してクラシックのコンサートを開いたんですって。述べ11万6千人の聴衆が集まって、企画は大成功。興行的にも黒字になったといいます。

成功の要因は3つと見ました。
1)入場料を1イベント1500円にした。
2)入場年齢制限を設けなかった(通常コンサートに小さい子供は入れない)
3)ディレクターに外国の著明な人を起用したことにより、国際的一流アーチストが格安で出演に応じてくれた

この記事でボクが驚いたのは、述べ11万6千人の集客を実現した事です。
音楽産業はアメリカに習って、大量生産時代に入っていて、J-POPは勢力を伸ばしています。
でもクラシックとジャズは斜陽のジャンルです。そんな中でクラシックコンサートに11万6千人もお客が入った、、というか、11万6千人もクラシックファンが居たのかよ! って感じです(笑)

やっぱ1500円+年齢制限無しという、「垣根の低さ感」がよかったんでしょうね。
クラシックって、なんだか、構えちゃうんですよね。難しそうで。
ふつうはチケットが5000円とか8000円するので、元を取ろうと考えると、演目が全部自分で解釈出来ないと、もったいないって考えちゃうんですよね。
2000円分くらいしか自分では分らないと思うと、もったいないと感じて行けない。


話は少し変わりますが、
コンサートホールには文化振興の役割というものがあります。
東京国際フォーラムは、箱だけ作って中身の企画が全然ダメ(つまり毎年赤字)の典型例として有名だけど、それ以外のホールも似たり寄ったりであることは、既に指摘されつくしたことであります。
ボクの町にも600クラスのホールがあるけど、市税持出しで文化公演を誘致しているみたい、、。

市税持出しが悪い事の様に言われがちだけど、文化振興を公費でまかなう事に、ボクは反対しない。
つぶれちゃ困る銀行を、公費で支えるのだから、芸術文化だって公費で支えて構わないと思う。
否、文部科学省を置く国家なのだから、あらゆる文化活動に対して公費を配分するべきだと思う。

プロ野球はストレス発散だからリーマン社会に認知されているけど、音楽は趣味のものだから個人で楽しみなさいって風潮が、日本にはある。
どちらも同じ興行である。
なぜか音楽芸能に対する日本社会の理解は低い。そもそもスポーツ省なるものは、日本には無いのに、、、

ボクのいとこに、文部科学省の国家予算で海外演奏をするレベルの演奏家がいるけど、彼が言うには、フランスが芸術に掛ける国家予算と比べて、日本はその1000分の1だそうです。

フランスのサイトでジャズミュージシャンを検索したことがありますが、ものすごい人数(多分数千人)が登録されたデータベースがありました。
日本にはそんなもの、ありません。
それに、何千人というボリュームも驚きです。一体どういうレベルの人までが登録されているのか、、、、
ボクでもフランスに住んでたら登録できるのかな??と思えてしまう。。
そのサイトの管理運営も、きっと公的資金援助があったり、ボランティアがサポートしてくれたり、民間企業がスポンサードしてたりと、音楽に対する社会の理解度が、マッタク違うのだろうと思いました。

日本には「歌舞音曲(かぶおんぎょく)」って四文字熟語があって、これらをさげすむ時につかうんだよな。
いったいどこにこういう風潮の根っこあるんだろうか、、、。

今回のイベントは公費は使わなかったみたい。
ただ、読売新聞と日本テレビ放送網が特別協力したと書いてあったから、広告力はあったんだろうな。
こういった企業の理解はとても重要です。頼んまっせ、日本の社長!!

ちなみに、先に挙げた外国の著明なディレクターさんは、フランス人ですって。
フランスに生まれたかったよ、ボクは(苦笑)

反省会

先日(4/27)のライブの反省会をしてきました。
MDで録ってあったので、それを通して聴きながら、「あーだこーだ」と話をしてきました。

総括としては、「これなら次の営業を掛けても大丈夫だね。」という感じです。

ボクのギターとM.S.さんのボーカルだけという、非常にシンプルな、ごまかしが一切効かない編成なので、出し物として形になっていたのか、とても心配でした。
演奏する側としては、音の隙間ができることに、とてもナーバスになっていたのですが、MDを聴いてみると隙間が空く事はそれほど問題ではなくて、むしろ隙間を恐れることで、リズムがわずかながら揺れてしまう事の方が、ボロとして聞こえていました。

リズムの揺れは、落ち着いて演奏すれば大丈夫と分っています。
これは克服可能。。。

今後の最大の課題は、歌にもっとドライブ感やビート感を乗せることです。
歌うのはM.S.さんですが、乗せるのはボクの役目。
もっと縦に乗る様に、伴奏も工夫が必要ということが分りました。
これは要練習ですね。

もしかしたら、M.S.さんのHPで、ライブの音が聴ける日が来るかも知れませんので、その時はお知らせします。

いままでM.S.さんと記述してきましたけど、HPのハンドルに合わせて、これからはmari-momoさんと呼ぶことにします。

反省会が概ね終わったところで、mari-momoさんが芸能人だった時のブロマイドを見せてもらいました。
?年前に、浅草のマルベル堂で売ってたんですって!!
「スキャナーで撮ってアップしようよ~」と提案しましたが、それだけは勘弁してほしいとのこと。。
時代感覚が溢れていて、ボクは良いと思ったんだけどなぁ、、、。

お蔵入りになったデモテープも聞かせてもらいました。
ご本人はこっちをアップしたいと言いますが、ジャズ・ボーカリストのHPに、この歌謡曲はマズイと思い「やめといたら、、、?」と言っておきましたが、当人の思い入れはかなり強そうでした。。。。
とても上手なんだけど、、、ちょっと現実とのギャップが、、、(汗)


反省会に話を戻しますが、あの日、ライブの後、セッション・タイムになりましたが、その録音も残っていました。。
耳が良い人ばかりが揃っていて、楽しいジャムセッションになりました。

色々な人の演奏を聴いていると、つい他人の芝生は蒼く見えてしまいます。ここで自信がぐらついてしまうのですが、今日は先に聴いていたデュエット・ライブで成果を確認しましたから、「これがmari-momoとtwagroのカラーなんだ!」と確認しあって、反省会を終えました。

次は京成臼井駅の近所のお店に営業を持ちかけてみようと思います。
決まったらまたお知らせします。

あぁ でも まだ、このデュオユニットの名前が決まっていなかった(汗)

プログレファン

いままで隠していた訳ではないのですが、ボクはプログレファンでもあります。
ブログじゃありませんよ、プログレ、、、○ヨタのクルマでもありません(笑)
プログレ=プログレッシブ・ロックです。

思い起こせばボクが中学1年生。
井上陽水で音楽好きの道に入ったボクは、まず最初にEL&Pの虜になりました。
FM番組で毎週、渋谷陽一氏が先端音楽を紹介してくれた。
EL&Pはもうとっくに解散してしまったけど、YESは爺さんになった今でも、頑張ってますねぇ(笑)
ジェネシスはとうとう解散してしまいましたが、ピーター・ガブリエルが居た頃が懐かしいです。
ロバート・フィリップ教授は今も健在です。
キャメルはどうしてるのかなぁ、、。

プログレは、ロックではあるけど、ガンガンにギターをかき鳴らすことはせず、ちゃんと譜面で作曲された、洗練?された、難解な?音楽です。

ロックというと、まずエレキギターを連想されると思いますが、プログレでは一般的にキーボードの方が重要です。
今はデジタル楽器が全盛で、ホームセンターでもデジタルキーボードが2万円で買えちゃいます。
でも、ボクが中学1年生の頃は、そんなものありませんでした。

メロトロンやハモンドB3、あるいはムーグシンセサイザーといった、アナログ全盛時代。
と言うかですね、デジタルという言葉はまだ市民権を得ていませんでしたから、アナログと言う言葉も世の中には無かった。
何かを買うというとき、選択肢はそんなに無かった。現在程にはモノは溢れていなかった。

1970年代のレコードを聴くと、今でもすぐにあの時代に戻れます。
どのレコードにも深い思い入れがありますが、あの当時、成長して行く自分の精神性と、初めて耳にした時の衝撃が一番ピッタリだったのは、ジェネシス・ライブでした。

genesis


当時LPで買いましたが、何百回も聴いて、溝がすりきれてしまったので、後年CDで買い直した程に好きです。
高校時代、隣の席の雄一くんにこれを聞かせたところ、それまでツェッペリンファンだった彼は、一夜にしてジェネシスファンになりました。
休み時間は、2人で手で机を叩いてドラムの代わりにし、口でギターやキーボードの音を歌って、ジェネシスに成り切っていました。
当人達の頭の中には、レコードの音が細部まで刻まれているので、2人でこれを演じるのは楽しくて仕方ありませんでした。
でも、周囲の人には「奇行」にしか写らなかったはずです(笑)
奇行ではあるけど、2人の動作は完璧にシンクロしていましたから、何か意味はあるらしいと分ってもらっていたかな?

今ボクは、主にジャズをやっています。
おっさんが夜間行動して遊べるのは、ジャズしか無いからかも知れません。
でも、ボクの音楽感覚は明らかにプログレによって作られています。
ジャンルは違っても、音楽表現の理屈はどうやら同じの様です。

もし今、誰かから「プログレやるんだけど、ギター持って来ない?」と言われたら、会社をさぼってでも、行きます(笑)

地球環境とギター

わけが分からないタイトルですみません(笑)
実はこのネタは奥深いものがあります。



数年前にボルネオ島の自然保護区に旅行に行きました。
ボルネオ島なんて、日本人には普段関係ないところなので、これを読んでくださっている方は、精々太平洋戦争の舞台になった奥深いジャングルの島、というイメージしか無いと思います。
ボクも旅行に行く直前まではそう思っていました。
でも、わざわざ自然保護区が設けてあるということを知り、保護されていないところはどんどん木が切り倒されて、はげ山になったり、やしの木畑になっているという現実を知ることとなりました。



さて、実際に旅行に赴いて、空港からマイクロバスに乗り、でこぼこ道を走ること2時間半、ようやく自然保護区に到着しました。



道中の車窓に見えていたのは、たしかにはげ山だったり、やしの木畑で、大木は一本もありませんでした。


badwood



しかし自然保護区の中は、本当の手付かずのジャングルで、ここには直径1メートルを超える大木も点々と生えていて、そのほかにも様々な動植物を見ることができました。

goodwoods


木の上にはサルが居ますし、ボクは見ることができませんでしたが、一緒の宿に泊まっていたオーストラリア人は、朝オランウータンを見たと言ってました。
道には像のフンも落ちていましたし、夜には鹿とバッタリであったり、いのししが出てきたり、カメレオンや名も知らぬ様々な昆虫が見られました。
鳥も一日中いろいろな声を聞かせてくれていました。



とにかく、手付かずのジャングルにはこんなにたくさんの生き物がいるのか!! と、驚きの連続でした。



保護区の外では、最初に一番価値が高い、直径1メートル以上の大木を切り倒してしまう訳ですが、他の木は残っていても、これだけで自然界に対するダメージは計り知れないものがあり、多くの生き物は生きる場所を失ってしまうことになります。




ギターは木でできています。
楽器に限定するとギターだけでなく、バイオリン族やピアノ、クラリネットなどの木管楽器、打楽器の一部などが木でできています。
楽器以外でも、家具や家も木でできていますし、紙も元は木でした。



木でできているものを列挙しましたが、楽器でも、特に弦楽器は、複数種の木材を組み合わせて作られています。
良い音がして尚且つ見栄えも良い木材は、信じられないほど高価で取引されています。



詳しいことは知りませんが、国際条約ですでに伐採を禁止された木もあります。
こうなると象牙と同じで、値段は高沸するばかりです。



ボクを含めて誰だって良い楽器を少しでも安価に購入したいと思うわけですが、その欲望はそのまま地球規模の環境破壊につながってしまうことを、実体験として学びました。




堅い話ですみません。
今日のお題に落ちはありません(笑)
ボクにできることは、新品の楽器を買わず、中古楽器を購入することだと思っています。



絶対音感/相対音感

英才教育の決まり文句のように、「絶対音感」という言葉が良く使われます。
曰く「絶対音感を身に付けて、音楽才能を花開かせよう!」って具合です。

ボクの長年の経験から言わせてもらうと、絶対音感は持っていても困らないけど、無くても全く困らないものです。
また絶対音感があることが、音楽家になるのに決定的な適正かというと、全くそんなことはありません!(キッパリ!)
更に、絶対音感があれば音楽の上達に役立つかというと、これまた全く役立ちません(笑)
現にうちの息子はいつでもどこでも「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」の旋律を正確にGのキーで鼻歌してますが、だからといって目立った音楽才能は全く持っていません。

絶対音感のことを書いた本を読んだ事はありませんが、別に本一冊に渡って書く程のことでも無いと思います。
絶対音感ってナニ? という方の為に説明しますと、「音の高さのブラインドテスト」と理解してもらえば良いです。
目隠しして、例えばピアノで「ミ」の音を鳴らして、目隠しされた人が「今のはミです。」と言えたら「絶対音感がある」ということです。たったそれだけのことです。
何時でもどこでも、ピアノの「ド」の音が言えるというのも、絶対音感があると言います(前述の我が子)。

絶対音感が無いと、音楽ができない場面を考えてみます。
「初めて会う人と、初めて渡された譜面で、練習なしでいきなり無伴奏のコーラスをしなさい。」
こんな時は、参加者全員が絶対音感を持っていないと、出だしの音が揃わないでしょうね。
でもこんな事、誰も経験する事は無いレアケースです。

絶対音感という言葉の反対語(対比語)は、「相対音感」です。
こっちの相対音感は、音楽をする上で大変に重要です。
相対音感ってナニ? という方の為に説明しますと、「既に聞こえている音を元にして、音階を組み立てる感覚。」となります。
「これはミの音です」と知らされてピアノの音を聴いた後、「ではシの音を声に出してください」と言われて、正しくシの音を出せると、相対音感があると言います。
つまり、これはハーモニー(和音)を構築する能力です。

相対音感を持っていないと、他の人と音楽はできません。
まず、音階が正しく作れません。「ドレミファソラシド」が基本になりますけど、これをピアノのように正確に声で表現する、あるいは楽器で奏でることは、案外難しいことです=除く鍵盤楽器。
ボクはギターを弾きますが、ギターでも弦の押さえ方によって音程が変わるので、綺麗な音階を奏でるのは、どんな楽器でも結構難しいことです。

相対音感を鍛えるメソッドとして、クラシック音楽界では「ソルフェージュ」という科目? があります。
ソルフェージュという名の譜面集が1冊ありまして、この譜を声で歌い、ピアノの音とのずれを直していき、正しい音階感覚と相対音感を身に付けるというものです。

もうひとつ、クラシック界では扱わないけど、ポピュラー音楽界では重要な感覚として、「コード」というのがあります。
コードネームという記号が譜面の上に書かれています。
「A Dm Cmaj7 Fsus4」ってなアルファベット記号です。
たまに略号が使われていて「Bφ Eb△7」なんて感じで「φ」や「△」が混ざることもあります。
このコード記号は、ハーモニーの進行そのものを表現していて、分散和音や旋律で使われる音の種類まで規定するものです。

また、音楽とは切っても切り離せない重要なものに、五線譜がありますが、この記述ルールも相対音に従っています。

日を改めて、「平均率/純正率」という「チューニング」の事を書こうと思っていますが、「私は絶対音感がある!!」と、自信を持って自分の能力を自慢する人がいたら、「あなたの持っている音階はどういうチューニングですか?」と、いじわるな質問をしてみたいものです。
もし、「A=440Hzの平均率です。」と自分のことをメートル原器の様に、明解に答える人が居たら、とりあえず拍手喝采ですが、それしか音階を持たない人とは、一緒に音楽は楽しめないと思います。

だって、セッション会場のピアノは440Hzジャストとは限らないのに、440Hzしか受け付けない絶対音感だったら、音が狂っていると言って、一緒に演奏できないはずですから。。。
まぁ、これくらい絶対音感って、どうでもいいことなんです。

裏を返すと、音楽って、メートルと、インチと、尺とが混ざっていても楽しめる、懐が深い娯楽ということですな(笑)

ザ・ケルン・コンサート

「ジャズピアノって興味があるけど、どれを買ったらいいのかわからない。」
というあなたには、このアルバムをお薦めします。

キース


このアルバムは、全編がピアノソロのライブ即興演奏です。
演奏しているのは、キース・ジャレット。
録音されたのは1975年です。
このアルバムと前後して、キースは結構な枚数(多分十枚くらい)の、同様な即興ソロライブを発表していますが、このケルンライブが一番知られています。

キース・ジャレットの名を知らない人でも、テレビCMでこのアルバムの音は聞いているはずです。
確か、○ヨタの△レスタだったと思います。

大変に美しく奥深く、ストーリー性があり、映像的な音楽です。
75年当時に、「癒し系」という表現はまだありませんでしたが、まさに癒し系の音楽であります。


音楽好きで、既にこのアルバムをご存じの方向けに、ちょっとマニアックな情報を提供しましょう(元ネタは「ECMの真実」という本です)。

キースはこの頃、毎晩ヨーロッパのどこかで、即興ソロ演奏をしていました。
そのソロツアーは大評判で、総べてが即興でありながら、毎晩大変高い評価を受ける演奏を繰り広げていました。
しかし、演じる方は大変だった様で、演奏が終わってホテルに戻るのは深夜であり、翌朝はプロデューサーでありレコード会社の社長であるマンフレート・アイヒャーが運転する車に乗り込み、次の町へ何時間もかけて移動するという、過酷な旅を続けていました。
その日の夕方、ケルンに到着した時はもうヘトヘトだったそうです。更に追い打ちを掛ける様に、リハーサルで弾いてみた会場のピアノは、高音域の音質に問題があり、旅の疲れに加えて気力を萎えさせるものだったそうです。
ここまでが「ECMの真実」に書かれていた概要です。


実際の音楽を、この事情背景を考えながら聴くと、大変に臨場感があるキースの内面をうかがい知ることが出来ます。

一曲目は、疲れ果てた自分を癒すように優しく始まる旋律、途中苦難の場面を迎えるが、天空から一条の光が射し、最後には音楽が疲れを被いつくして、音楽による幸せを最大限に表現してエンディングへと向います。

二曲目(クレジット上の2と3は、音楽としてはつながっています。LPだと一面に入り切らない長さだったので、止む無く2つのトラックに別れています。)は、毎日クルマで旅をしながら、毎晩の演奏で賛辞を得るという非日常的なことが、毎晩繰り返されている現実。
これはどこかおかしいことではないのか?
だけど旅は続き、毎晩祝福を受ける。
いったいこの旅の終焉はどのように迎える事になるのだ??
という疑問をそのまま音楽に表しています。

最後の三曲目は、二曲目が難解であったことを受けて、お口直し的にさわやかな、自らの気分を落ち着かせる様な演奏をしています。


これらはボクの解釈でしかありません。
ですけど、本に書いてあった録音の背景を元に想像を膨らませると、音楽は何倍も深く楽しむ事ができます。

アルバムのタイトルは、地名に「The」と冠詞が付いています。
それだけ出来がヨカッタと言う事でしょうか。